東京高等裁判所 昭和26年(う)4633号 判決 1952年6月17日
控訴人 被告人 岡田澄三郎 弁護人 小池広澄
被告人 井関信江 弁護人 柴田武 外一名
検察官 軽部武関与
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
理由
本件控訴の趣旨は末尾添附の被告人岡田の弁護人小池広澄同井関の弁護人柴田武同花岡陸治の連名で差し出した各控訴趣意書記載のとおりである。
被告人岡田の弁護人小池広澄の控訴趣旨第一点について
按ずるに原判決挙示引用に係る標目の各証拠を綜合すれば原判示の事実はこれを肯認するに足り事実誤認の疑はない。そして原判決が被告人の過失の第三として被告人が原判示乗合自動車の乗客関賢の喫煙に気づいたのに云々と判示しながら原判示第一の末段の重過失死傷の項には「右重過失に基く火災とこれに伴う混乱の結果云々」と判示するのみであることは論旨の指摘する如くではあるが重失火罪過失致死傷罪においてはいやしくも自己の重大なる過失が失火或は他人の死傷に対し一の条件を与えた以上はその重過失が該結果に対して唯一の原因ではなく他人の過失と相俟つて共同的に原因を与えた場合であつてもその責任を負うべきことは当然であり、被告人の重大なる過失によつて火を失し更に右火災が原因となつて他人を死傷に致した場合には被告人に重失火、重過失致死傷の責任のあることは固よりであるから原判決には所論の如き理由不備の違法は存しない。そしてまた仮に所論の如く本件火災並びに死傷の結果はひとり被告人の重過失のみに因るものではなく他人の過失がこれに介在するものとしても刑法上はこれあるために被告人の注意義務、過失責任を免脱させるものではない。それゆえ論旨は理由がない。
被告人井関の弁護人柴田武同花岡陸治連名の控訴趣意第三点について
しかし原判決挙示の標目の証拠を綜合すれば被告人井関は原判示衣笠第二トンネルを過ぎる頃車内のガソリン臭を覚知したものと認むべきことは前叙の如くであり、かかる場合においては車掌たる被告人井関は直ちに車内における乗客の携帯品を点検しガソリンを発見して遅滞なくこれを車外に搬出するに必要な措置を講じ火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務のあることは条理上当然であり、かくの如きは被告人井関に対し不可能を強いるものではない。また自動車運送事業運輸規定第二条第六条第十六条第二十一条第一号の(3) 第二十二条第三号第二十三条第六号の趣旨に徴しても乗合自動車の車掌たるものは本件ガソリン罐の如き旅客に危害を及ぼす虞のある物件が車内に持ちこまれているのを発見した場合には直ちにこれが運送を拒絶し当該所持者をしてこれを車外に搬出させるなり、自らこれを車外に搬出しなければならない法律上の義務のあることは当然であるといわなければならない。それゆえ論旨は理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 中村光三 判事 河本文夫 判事 鈴木重光)
弁護人小池広澄の控訴趣意
第一、原判決は理由不備の違法があり刑事訴訟法第三百七十八条第一項四号に該当するものと信ず。
原判決は重失火に関し第一乃至第五の点を挙げその第三の点に於ては被告人岡田はその後前方より約二尺八寸隔りたる座席にいた乗客関賢が喫煙して居るのに気付き云々と記載しありて失火の原因は控訴人と関とが共同責任あるが如く判示し居るが致死傷の点に関しては、ただただ失火原因の点にのみ注目し「失火あれば必らず死傷者あり」「死傷者あらば失火原因を与えたる者のみが責任あり」と云うが如き妄断を為し「果して死傷者は如何なる原因により発生したるかを究明せず」「本件死傷者は控訴人一人が責任を負うべきが如き」判決を為したる理由不備の誤判あるものと信ず(尤も井関車掌に対しても責任ある旨――失火と致死傷――を判示すれども控訴人と井関との刑罰を比較すれば井関に対しては僅に申訳的の責任を問ひたるに過ぎず)。当弁護人は原審以来致死傷に対しては控訴人の外喫煙したる関賢、自動車の車掌、運転手、京浜急行電鉄株式会社が同等の責任を分担すべき筋合である。今左にその理由を挙るべし。
(一)致死傷に対する責任分担の前提として「百聞一見に如かず」の諺の如く判官諸公に現場検証を希うものであります、現場を御検証せらるるならば致死傷の責任は何人が負うべきものなるかは一見明瞭であります。尚ほ当時の模様は記録添付の図面即ち
<省略>
を基本として考察すれば何故発火地点より停車位置迄三拾秒、四拾五秒、弐拾壱秒計九拾六秒を経過したるか、何故控訴人がガソリン罐を持つて或は前部昇降口に或は後部昇降口に往復したるか、しかも前、後部に乗客は詰め寄りて車掌に昇降口の扉を開けて呉れと高声に叫ぶも開扉せざりしか。何故自動車運転手は停車処置を採らざりしか非常停車のブザーが鳴りても二十一秒も自動車は走り続けたか。二十五キロ米の時速進行中の自動車は非常停車の場合は自己の車体の長さにて停車すべき様に自動車は製作をされて居る事は公知の事実である(当弁護人も自家用車を使用し居りて詳知して居る)。又原裁判所でも検証したが矢張り同様の結論に達した。又その位いの距離にて停車出来なければ前方に障害物があつた場合之を避けることが出来ない。而して原審の検証の結論として本件自動車も亦車体の長さなる約十三米突にて停車する確証を得たのである。而して之を計数を以て明示すれば十三米突は約一秒三の時間にて停車できるのに何故本件自動車は前記図面の如く三十一秒も経過後停車せしか。何故車内の保安の責に任ずべき車掌は発火後三十秒も之に気付かざりしか、しかも当時自動車内には定員以下の乗客は一杯おりしも立ち居たる乗客はあの広さの場所に十人位であつたから車内の見通しは充分であつたのに気付かざりしか。何故発火を気付きたる後約四十五秒も経過する迄非常停車のブザーを鳴らさざりしか。ガソリンはただ燃焼するのみで爆発するものに非ずセルロイド製のフイルムや玩具とは異り、イチ早く停車開扉せば恐らく死者は勿論傷者も極く僅かで済んだのではないかと思われます。
(二)以上1乃至6の誤点を分析すれば関の外更にそこに車掌や運転手や電鉄会社の大なる過失が直ちに判明するに拘らず原判決は此の点に触れずただ単に控訴人にのみ過失致死傷の責を負わしたるは所謂理由不備の違法あるものと信ず。然らば如何なる過失を車掌や運転手や電鉄会社が犯し居るや。之を卒直に左に解明せん。
<1>の点 車掌が漫然車内に立ん坊するのみにて車内の保安に深甚の注意を怠り、しかも「開扉後発車の合図をする停車後でなければ開扉せず」との会社の規定を丸呑みにして発火を発見せず、発見しても急停車の信号を為さざりし事(開扉は勿論なさず)。運転手は停車信号を受けたるも非常停車の信号たるブザーは四声連続の為め果して非常停車の信号なるや否や不明の為め故らに何人かの悪戯かと思惟して停車せざりしものなり(停車位置より約一丁足らずの地点に連合軍の南門あり、同所には電鉄会社の自動車停留場なき為め時々連合国の兵隊に無理に停車を命ぜらるる事あり、今回も運転手はブザーを聞きたるも南門迄間近き故同所に停車する意思にて停車せず運転を続けたるものと思惟せらるるなり。電鉄会社の急停車の信号符が此の停車を一層遅延せしめたものなり。電鉄会社の符合は----の四声にして普通の停車信号の符合は-なり、即ち変事、急を要する急停車信号の符合こそ-であらねば急の間に合わぬのに四声を聞かなければ果して急停車信号か否かを了解出来ぬ様な符合を作案した会社に重大な責任あり、しかも急停車の場合に完全に明瞭に----と符合を発信することは不可能の制度なり。
<2>の点 前後部の両車掌は「停車後なりせば開扉せず」との電鉄会社の規定を鵜呑にして開扉せず益々死傷者を増加せしめたるものなり。若し速やかに開扉せば二十五キロ米の速度なら男子は難なく飛降り得るものなり(百米の吉岡選手等の速力は二十五キロより尚早し)。
<3>の点 之れは前述せる如くブザーが明瞭に運転手に聞き取れず多分連合国軍隊が南門で停車せしめんが為め悪戯の信号を為し居るものと速断したる過失に基因するものにして若し運転手にして後部を振返り見れば此の事故を直ちに発見し得る筈なるに之を為さざりしは傍らの同乗者と雑談に耽り居たるものなるべし。現に運転手が本件の事故を気付きたるは同乗せる元車掌の注意により初めて知りたりとの申立てによるも急停車信号を漫然聞き流す運転手こそ重大なる過失ありと断ずるものなり。
<4>の点 僅か一秒三で(十三米突を走破する時間)停車し得る自動車を二十一秒も走らすことこそ非常時に於ける重大過失なり、此の事が結局死傷者を増加せしめしものにして此運転手の怠慢なからんか恐らくは死者は生ぜざるべく、傷者も極めて少数なりしなるべし。
<5>の点 定員八十名足らず詰め込めばその倍数は乗車し得る自動車に六十名位い(約五十名近くは座席約十名は立ち居たり)の乗客故車内の見透しは充分利く場合なるに拘らず発見は遅れ更に運転手に達する信号甚だしく遅延せり。若し此の措置が適当に運ばれしならば本件死傷は尠少なりし事は言を俟たずして明白なり。即ち業務上必要の注意を欠きしものと謂うべし。
<6>の点 発火を気付きたる後四十五秒も非常停車信号を為さざりしは平素電鉄会社の車掌に対する有事の場合の訓練不足の致すところと謂はざるべからざるところであつて電鉄会社と車掌との連帯責任と断ずべきものなり。
以上の如く控訴人以外に多数の責任者(縦令それは何かの間違いで起訴されなかつたにせよ)があるに拘らず控訴人に対してのみ全責任を負わしめた事は致死傷に対する理由として不備なりと断言するに憚からず。即ち破棄せらるべきものなりと確信す。
弁護人柴田武、花岡隆治の控訴趣意
第三点原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の適用を誤り且理由不備の違法がある。
原判決は理由中に於いて「該バスが衣笠第二トンネルを通過した頃云々――その執務位置に於てガソリン臭を覚知したのであつたが、かかる場合同被告人は旅客の安全な輸送を図ることを職務の一とする車掌として直ちに車内における乗客の携帯品を点検し該ガソリンを発見して遅滞なく車外に搬出する必要な措置を講じ火災の発生を未然に防止する業務上の注意義務を負うものであるところ」としている。然し乍ら昭和二十六年一月十三日付検証調書によつて明かであるように、衣笠第二トンネル(金子隧道)から発火地点との間は武山(甲府点)――一騎塚――林の三停留場があり而もその発火地点迄の所要時間は二分十秒、三分二十秒、二分二十七秒、一分三十四秒計九分三十一秒である。車掌としての任務は乗車券の発売、検札、整理、車外の警戒等種々あり斯る短時間の間では数十人(各供述によると六、七十名)の荷物(ライターでもガソリン臭は発するから細大洩らさず)を点検するが如きは到底能うべくもない。而もガソリン罐は麻布製南京袋で秘匿偽装していたものであり一々点検するに付ても車掌は司法警察職員と同様な権限を有する鉄道公安職員と異なるものであるから強制的に捜査する訳にも行かない。蓋しかかる権限がないからこそ自動車運送事業運輸規程第二十二条に依つてこのような物品を持込んではならないと厳に乗客側に禁止されているものであつて同第二十三条によれば運輸を妨害するような行為をし車掌の制止に従はなかつた者に対しては降車せしめることができるが第二十二条の場合には之を車外に搬出せしめたり或は降車せしめる何等の規定もないので法的に之等の義務を認める根拠はないのである。原判決は業務の性質上当然の条理であると判示し車外に搬出の義務を認めているが条理上の義務があると解することはできない。従つて結果的に車掌は荷物を点検し車外に搬出しなければならないと云つても要するにそれは机上の空論であるに過ぎず。畢竟法律上も義務もなく又出来ないことを被告人井関に求めているのであつて当時の状況から云つても亦一般的に云つても出来得ない斯かる行為を求めても期待不可能性として責任を阻却せられなければならないのに不拘斯かる点を無視し従らに業務上過失致死傷罪として擬律したことは明かに法令の適用を誤つたものであるばかりか此の点につき理由の不備がある。
(その他の控訴趣意は省略する。)